
五十鈴神社から海沿いに西へ。桟橋は巨大なコンクリの構造物なのだと知る。

フェリーターミナルの南側に出来ていた復興屋台村気仙沼横丁で気仙沼パン工房のクリームサンド買ったり、カレー食べたり。

「冷蔵庫創業の地」の碑。気仙沼は、日本で初めて本格的冷凍工場が建設された地だそうです。
山口県小郡町出身の葛原緒平氏によって、大正九年(1920年)に建設した冷凍工場により日本の水産物の凍結業の始まったとのこと。
産地から消費地まで鮮度を保ったまま水産物を運ぶ。遠洋でとられたスケソウダラなどを多く使う蒲鉾屋としても興味深い話です。
1920年代における水産物冷蔵流通構想と実践-葛原冷蔵の創業と失敗について-
葛原緒平氏は1918年に電気資材と販売を業務とする葛原商会株式会社を設立。しかし、冷蔵業が有望と判断し、冷凍技術研究のためアメリカに渡り、アメリカの代表的空気圧縮機メーカーの製品の代理権を取得。アメリカ人冷凍技師と共に帰国し、鮮魚の冷凍冷蔵のテストを行い、1920年、気仙沼に冷蔵庫を建設。1921年には東京魚河岸へ冷凍魚を出荷。「すごい行動力」という形容の仕方では足りない感じですね。
事業としては1925年には行き詰まってしまったようですが、歴史の先駆者として果敢な姿勢は、後世につながっていったようです。

気仙沼お魚いちばでほやぼーや発見。こちらで震災記録写真集やかねせんさんの笹かまぼこを購入。

かねせんさんの笹かまのパッケージに描かれているのは気仙沼の名所のひとつ浮見堂。私が行った2013年1月には見ることが出来ない場所となっていました。

かねせんさんの笹かまぼこは、パッケージに「やわらか」とあるように、とても優しい食感。ふんわりなめらか。でもたんに柔らかいだけでない弾力あり。西日本の人間としては焼き系蒲鉾にはもう少しガッチリした弾力が欲しいとも思いましたが、優しい風味と合わさって、宮城の笹かまとも違う魅力がありました。
裏面の原材料表示を見ると、使われている魚肉として、ミナミダラが一番目に書かれていました。ミナミダラは、現在はチリやアルゼンチンで漁獲されている魚種です。蒲鉾の原料魚としてはスケソウダラほどメジャーではありませんが評価の高い魚で、なめらかな独特の弾力には定評があります。

海岸沿いに南下していくと気仙沼魚市場へ。奥は気仙沼リアスシャークミュージアム。震災前から行きたいと思っていたスポットですが、このあたりも津波に飲まれました。

気仙沼市場からさらに南に下った高台から少しだけ俯瞰。今はGoogleストリートビューでこの状態より少し前の景色が見れます。
この高台から撮影された動画もYouTubeにありました。同じ景色。だけど違う景色。

がれきの多くが撤去され、道路のかさ上げが進む景色。ここまでの苦労とここからの苦労を想像しようとして想像も出来ず視線は下がりがちに。

歩き疲れたので帰路に着こうと思いましたが、少し踏ん張って大川の土手へ。この川にも津波が上がってきたそうです。

体力切れ寸前になりながら、なんとか蒲鉾のいちまるさんへたどり着きました。こちらも津波被害に遭われたようですがしっかり再開されています。

店内には、全国の蒲鉾組合の連合会である全国かまぼこ連合会作成のポスターが。

いちまるさんの笹厚焼き。

かすてら蒲鉾。これは広島の草津の蒲鉾屋さんが正月などを中心に作っている「てら」と同じタイプの蒲鉾。広島では、大勢が集まる時に作る巻き寿司の芯として使われていたりするようですが、気仙沼でも同じなのでしょうか?

鯛型の細工蒲鉾。草津や富山ともまた違う様式。躍動感があって好きです、このかたち!

気仙沼復興商店街南町紫市場に立寄りながら、気仙沼駅へ。
被災地の復興を祈念しつつ。
みなとまち気仙沼のふれあい、気仙沼温泉のお風呂、絶品の海の幸のめぐみをぜひご体感下さいませ。 |